北越渡航紀行 ~ 加賀百万石の街、令和の金沢 ~

2019年5月16日

平成から令和へと元号が変わり、新しい時代が幕を開けました。
平成最後にして、令和最初となる歴史的なゴールデンウィークを、みなさんはどのように過ごされましたか?

思いで深い平成時代への懐かしさと、新たなる令和時代への希望を胸に、私は新潟、富山、石川の3県を訪れて参りました。この度訪れた新潟、富山、石川の中から、今回は「金沢」について紹介いたしたいと思います。

一、金澤神社

金澤神社は学問の神様であり、前田家の先祖でもある菅原道真公を奉る神社で、受験生をはじめ広く金沢市民の信仰を集めています。受験シーズンになると地元のテレビニュースでも紹介される神社で、境内には合格祈願の絵馬が五重にも六重にもなって掛けられています。また、金澤神社の境内には「金城霊澤」と呼ばれる場所があります。諸説ありますが、「金城霊澤」は「金沢」の地名の由来になったとも言われています。

「金沢の地名の由来について」

昔、山芋を掘って売っていた藤五郎という青年がおり、山で芋をほっていると、芋のひげに砂金がついていました。その砂金を洗った泉が「金洗沢(かなあらいざわ)」とよばれ、それが金沢の地名になったといわれています。そしてこの「金城霊沢(きんじょうれいたく)」が、その泉だといわれています。


新しい時代となった「令和」は、日本最古の歌集「万葉集」に編纂されている、次の和歌が由来とされています。

(万葉集 梅の花の歌 三十二首の序文)
初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

名前の由来を知ることで、その名前に込められた歴史や願いを深く知ることができ、関心も高まってきます。名前を覚えるだけでなく、その由来についてさらに調べてみるのは、学習意欲を高め、さらには長期記憶として長期間覚え続けられるという、効果的な方法につながると思います。

二、石川門


石川門は兼六園と金沢城公園をつなぐ入口で、河北門、橋爪門とともに金沢城の三御門と呼ばれていました。加賀百万石の風格を漂わせる堂々とした構えで、石川門と金沢城のコラボを目にして、「石川県金沢市」に来た実感がわいてきました。
石川門の一の門をくぐると、そこには非常に珍しい石垣の光景を目にすることができました。石川門の石垣は右側と左側で積み方が異なり、右側は「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」と呼ばれる技法でつくられています。


打ち込みハギ(左側)

切り込みハギ(右側)


火事にあった門を修復する際に、被害が少なかった石を再利用したのが左側の石垣、新しい技術で修築されたのが右側の石垣といわれています。また、右側の「切り込みハギ」は見た目には綺麗ですが一つ一つの石が薄いため強度が足りなく、一層櫓向けといわれています。対して左側の「打ち込みハギ」は石が長く土塁に突き刺さっているので、見た目は粗いですが強度があるため、二層櫓向けといわれています。石川門の櫓は右側が一層、左側が二層となっていますので、諸説ありますが、こうした理由から左右で石垣のつくりが異なっているとも考えられます。

(下記の写真は石川門の左側です。櫓が二層で、石垣は強度の強い「打ち込みハギ」の石垣となっています。)


金沢市内には金沢城や兼六園以外にも、前田利家公を奉る「尾山神社」や、旧制第四高等学校の施設を利用し、金沢三文豪(泉鏡花、徳田秋声、室生犀星)を始めとする著名な文学者の資料を揃えた「石川近代文学館」など、加賀百万石の栄華を感じさせる歴史的史跡がたくさん見られます。また、歴史的遺跡だけではなく、香林坊などの繁華街にはオシャレなカフェや百貨店が建ち並び、「金沢21世紀美術館」では豊富な現代アートを鑑賞することができます。金沢の街は「過去」と「現代」が調和する街でした。

金沢市を訪れたのは約10年ぶりでしたが、10年前に訪れた時に比べ、大きく変化している光景が見られました。それは、外国人観光客が大幅に増えていたことです。10年前に訪れた時はほとんどが日本人観光客でしたが、今回の金沢の街では多くの外国人が歴史ある金沢の街で日本文化に触れ、楽しそうに過ごしていました。

「令和」の名前には、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められています。「過去」と「現代」が調和する街で、日本人と外国人が共に美しい日本文化に心を寄せている金沢の光景は、「令和時代」にふさわしい姿だったと感じています。

 

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