海外渡航紀行(フランス 前編)
2019年3月23日
(日本からフランスへのアクセス)
航空機(ANA): 羽田空港 ⇔ パリ シャルル・ド・ゴール空港
世界で最も多くの観光客が訪れる国であり、私も最も憧れている国である「フランス」、そしてグリム童話の舞台となる「ドイツ」を、この度訪れてまいりました。日本からフランスへはANAの直行便で羽田空港からシャルル・ド・ゴール空港へ向かいました。
広大なロシアを横断するように北上し、スカンジナビア半島やユトランド半島(デンマーク)近辺を通り、12時間45分のフライト時間を経てフランスの地に到着しました。
今回はシャルル・ド・ゴール空港ターミナル3近くを宿泊地とし、今回のヨーロッパ訪問の拠点としました。シャルル・ド・ゴール空港は世界各国の航空機が集結するのはもちろん、空港内にTGV(フランス新幹線)やRER(地域急行鉄道網)、パリ市内へ向かう急行バス等あらゆる交通機関が集結しているため、各地域へのアクセスが抜群になっています。
今回、フランス国内では「オルレアン」、「ランス」、「リヨン」、「パリ」を、ドイツ国内では「ブレーメン」を訪れましたので、それぞれの街を紹介させていただきたいと思います。
1.オルレアン (Orléans)
(オルレアンへのアクセス)
Intercités(SNCF):オステルリッツ駅(パリ市内)⇔ オルレアン駅
(※Intercités ~ 在来線特急 、 SNCF ~ フランス国鉄)
オルレアンはフランス中部に位置する人口約12万人の都市で、ロワレ県の中心都市になっています。「オルレアン」といえば、フランスの国民的ヒロイン「ジャンヌ・ダルク」ゆかりの街として知られています。
百年戦争の末期、フランスは国土の大半を失い、フランス国王の座も失われようとしていました。最後の主要な町オルレアンを失えばフランスが消滅してしまう危機に迫っていました。そのとき、神の声を聞いたジャンヌ・ダルクが、数日でオルレアンをイギリスから解放し、フランスを救ったとされています。
以来、奇跡を起こしフランスの聖人となっているジャンヌ・ダルクは、オルレアンの人々にとってもフランス人にとっても、永遠のヒロインとなっています。
オルレアン駅に到着し、駅から500mほど歩くと、「ジャンヌ・ダルク像」が中心に立つ「マルトロワ広場」にたどり着きました。優しさと強さを兼ね備えた顔立ちのジャンヌ・ダルク像を目にして、フランスに来た実感がわいてきました。広場にはメリーゴーランドや小さな出店があり、市民の憩いの場となっていました。
マルトロワ広場
広場の近くにあるジャンヌ・ダルク大通りを歩くと、やがて「サン・クロワ大聖堂」が見えてきました。大聖堂の中はジャンヌ・ダルクの生涯を描いたステンドグラスやジャンヌにささげられた聖堂があり、ジャンヌ・ダルクの面影を強く感じられる場所になっていました。
大通りから見たサン・クロワ大聖堂
サン・クロワ大聖堂(右)
サン・クロワ大聖堂内部①
サン・クロワ大聖堂内部②
サン・クロワ大聖堂のすぐ近くには「オルレアン美術館」、そして「グロロ邸」と呼ばれるオルレアンでも有名な場所がありました。
オルレアン美術館は絵画・彫刻ともに作品が豊富にあり、中でもパステル画はルーブル美術館に次ぐ規模といわれるだけあり、圧巻でした。また、ジャンヌ・ダルクをテーマにした絵画や彫刻も多く、オルレアンの魅力を凝縮した場所となっていました。
「グロロ邸」は16世紀中ごろの優美なルネッサンス様式の邸宅で、1982年までは市庁舎として使われていました。グロロ邸入口ではジャンヌ・ダルクの像を見ることができました。オルレアン市内には様々なジャンヌ・ダルクの像が見られますが、中でもこのグロロ邸の像は有名で、旅行ガイドブックやパンフレットでよく使用されています。
美術館 ジャンヌ・ダルク肖像画
美術館 ジャンヌ・ダルク像
グロロ邸 ジャンヌ・ダルク像
グロロ邸 外観
オルレアンの地でフランスに奇跡の勝利を導いたとされるジャンヌ・ダルクは生前、次のような言葉を残しています。
「 Agissez et Dieu agira ! 」
「行動しなさい。そうすれば神も共に行動されます!」
絶体絶命の状況からフランスを勝利に導いたジャンヌの行動は「奇跡」と讃えられていますが、その奇跡も、行動なくしては起こりませんでした。奇跡や勝利は自らが行動して初めてもたらされるものであって、何もしない人間には運も味方してくれません。
ただ祈るだけではなく、祈りに加えて自分たちが行動して初めて運や奇跡がもたらされるのだというジャンヌの強い信念を、この言葉から感じ取ることができます。
19年という短い生涯の中で輝かしい戦歴と悲しい最後を遂げてしまったフランスのヒロイン「ジャンヌ・ダルク」から多くの勇気が与えられた、オルレアンでのひとときでした。
2.ランス (Reims)
(ランスへのアクセス)
TGV(SNCF):シャルル・ド・ゴール空港駅 ⇔ シャンパーニュ・アルデンヌTGV駅
(※TGV ~ フランス新幹線)
ランスはフランス北部グラン・テスト地域圏マルヌ県に位置する人口約18万人の街で、
フランスの歴史を語るうえで欠かすことのできない存在、「ランス大聖堂」で有名な場所となっています。
フランスの歴代国王は、このランス大聖堂で戴冠式を行わなければ正式な国王とはみなされないと言われていたほど、由緒ある場所となっています。上記で述べたジャンヌ・ダルクの活躍によってシャルル7世はこのランス大聖堂で戴冠式を行いました。また、太陽王と呼ばれた「ルイ14世」や、フランス革命の犠牲となってしまった「ルイ16世」も、ランス大聖堂で戴冠式を行っています。
ランス大聖堂 外観①
ランス大聖堂入口 「微笑む天使」
ランス大聖堂 内部①
ランス大聖堂 内部②
大聖堂入口には「微笑む天使」と呼ばれる、ゴジック彫刻で最も有名な作品があります。笑顔でガッツポーズをとっている天使を見ていると、色々と乗り越えないといけないことがあっても、笑顔で乗り越えていけるような不思議な感覚になりました。大聖堂内部はフランスの歴代国王が戴冠式を行った聖地だけあって、高貴で神聖な雰囲気が漂っていました。
また、大聖堂内部に「ジャン・バプティスト・ド・ラ・サール」の資料が大きく展示されていました。聖ラ・サールは1651年にフランスの貴族の家に生まれました。聖ラ・サールは貧しい平民の子供たちのために教育を普及しようと努力しますが、当時のフランスでは聖職者や貴族が平民に施すのは考えられなく、聖ラ・サールはすさまじい迫害を受けます。やがて聖ラ・サールは名誉ある職を捨て、全財産をすべて子供たちに施し、生涯をささげることになります。聖ラ・サールの行動は当時の社会では理解されませんでしたが、やがて時を経て19世紀頃から広く理解されて聖人となり、20世紀半ばにはすべての教育者の守護聖人となりました。聖ラ・サールの意思は現在ラ・サール修道会に引き継がれ、日本国内では鹿児島と函館にラ・サール高校・中学校が運営されています。
由緒あるフランスのランス大聖堂で、私の母校の創設者が大きく取り上げられているとは想像もしていませんでしたので、聖ラ・サールの母国「フランス」の由緒ある場所で母校にふれられたことに、誇りと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
聖ラ・サール掲示資料
松永慎吾
【松永慎吾 プロフィール】
函館ラ・サール高校、大阪大学外国語学部卒。
秋田の学習塾イデアグループ指導監理官就任。秋田中央高校にて「小論文テクニック講座」や能代松陽高校にて「大学進路講演」など高校講演実績多数。ABSパイセンでは「チャーティー」ABSタマリバでは「ラ・サール伯爵」としてラジオ番組に出演中。
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