海外渡航紀行(フランス 後編)

2019年3月24日

3.リヨン (Lyon)
(リヨンへのアクセス)
TGV(SNCF):シャルル・ド・ゴール空港駅 ⇔ リヨン・パール・デュー駅

リヨンはフランスの南東部に位置する人口約50万人の都市で、都市人口ではパリ、マルセイユに次いで第3位、都市圏人口ではパリに次いで第2位の都市となっています。オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏の首府で、メトロポール・ド・リヨンの県庁所在地にもなっています。

 リヨンは「星の王子様」の作者「サン・テクジュペリ」の故郷としても知られています。
市内中心部に「ベルクール広場」という場所があります。広場の一角には「サン・テクジュペリと星の王子様」の像があり、すぐ近くにはサン・テクジュペリの生家も見られます。

サン・テクジュペリ像

          

サン・テクジュペリの生家


※生家には ICI EST NÉ ANTOINE DE SAINT-EXUPÉRY LE 29 JUIN 1900
(1900年6月29日にここでサン・テクジュペリは生まれました)と看板が掲げられています。

「星の王子様」は世界中で多くの人々に愛されている作品で、私も幼少の頃に見たテレビアニメが印象に残っています。星の王子様のアニメ冒頭で、

「この物語を世界中の子供たちに。また自分が子供だった頃を忘れがちな大人達に。そしてうわべだけでなく、物事の本当の美しさを見つめる勇気を持ったすべての人々に、心からの友情を込めて贈ります。 サン・テクジュペリ」

というナレーションが読まれていたのを今もはっきり記憶しています。
大人は誰しも始めは子供でしたが、しかしそのことを忘れずにいる大人はほとんどいないと、サン・テクジュペリは述べています。サン・テクジュペリの作品や生き方には、そんな子供だった頃の心を忘れていない姿が示されていると感じられます。また、スペインで生まれ、フランスで活躍した絵画の巨匠「パブロ・ピカソ」にも、子供だった頃の心を忘れていない姿を私は感じています。ピカソの絵は誰が見ても上手いと思える華麗な絵や、「ゲルニカ」など独創性に富んだ天才的な絵もありますが、中には幼い子供が書いたようなシンプルな絵も見られます。でも芸術的価値はどちらも高く評価されています。きっとそれは、子供だった頃の心を忘れずに書いたピカソの心が伝わってくるからこそだと感じています。

 リヨンの街はパリとはまた違った雰囲気の街でした。都会ですが美しい丘や川が見られ、街の雰囲気も落ち着いた感じでした。「フルヴィエールの丘」と呼ばれる場所にはオルレアンやランスとはまた違った趣の「ノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂」や、古代ローマの雰囲気漂う「ローマ劇場」が見られ、丘から一望できるリヨンの街並みは格別の光景でした。

また、親切な方々が特に多かったのもリヨンでした。友人とリヨン市内のレストランで食事をしている時、隣のテーブルで食事をしていたおじいさんが笑顔で私たちに手を振ってくれました。店員さんもにこやかで心遣いが伝わり、とても好印象でした。また道を尋ねた際にいたっては、わざわざ反対方向まで戻って場所を案内し、案内してくれた後には握手までして下さるなど、サン・テクジュペリの作品にみられる暖かさが街中に広がっているようなリヨンの方々でした。


ローマ劇場

          

ノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂


リヨン市街①

リヨン市街②

 


4.パリ (Paris)
(パリ市内へのアクセス)
急行バス(LE BUS DIRECT): シャルル・ド・ゴール空港 ⇔ 凱旋門前


 パリはフランス北部に位置する人口約220万人の都市で、フランスの首都となっています。ニューヨーク、ロンドン、東京と並んで世界四大都市として位置づけられることも多く、世界屈指の主要都市となっています。
「華の都パリ」と称賛されるだけあって、街全体が巨大な美術館のような雰囲気でした。市内には至るところに芸術的な建築物や歴史的な像が見られ、パリの街から幾多の芸術家が輩出されたのも納得できる街並みでした。

パリを訪れた日ですが、上記で記載したリヨン訪問とは対照的に、雨が降ったり止んだりの繰り返しの天候でした。パリの観光名所はどこも長蛇の列で並んでしまうため、今回は場所を限定して「凱旋門」、そして凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩いて、パリ市内の街並みを見ながら「奇跡のメダイユ教会」という、世界中から多くの方々が訪れる教会へ向かうことにしました。
シャルル・ド・ゴール空港から急行バスに乗って目的地に降りると、そこにはパリを象徴する「エトワール凱旋門」がそびえ立っていました。
 「エトワール凱旋門」はナポレオンの命で1806年に着工し、30年後の1836年に完成します。ナポレオンの死から19年が経過した後で、流刑地となるセント・ヘレナ島で亡くなったナポレオンの遺体は、1840年にようやく門をくぐることができたとされています。
凱旋門は上に登ることができ、そこからはパリ市内を一望することができます。受付で空港並みのセキュリティーチェックを終えた後、凱旋門の上へと通じる272段のらせん階段を登りましたが、極めて急ならせん階段で、相当な体力を必要としました。かつて四国香川の「金毘羅さん参り」で1368段の石段を登って奥社を訪れたことがありましたが、凱旋門の段数は272段であっても傾斜が急で休憩できる場所もないため、金毘羅さん参りと同じくらいの道のりに感じました。ですが、遠く辛い道も登り詰めたらそこには美しい景色が待っていました。屋上展望台から見えるのは「華の都パリ」の全景で、エッフェル塔など名だたる観光名所を凱旋門から見ることができました。

 

凱旋門 外観

凱旋門 内部

凱旋門 屋上風景①

凱旋門 屋上風景②

 

 凱旋門を訪れた後、有名なシャンゼリゼ通りを通り、次の目的地である「奇跡のメダイユ教会」へ向かいました。凱旋門からシャンゼリゼ通りをしばらく歩くと、「シャルル・ド・ゴール像」が見えてきました。シャルル・ド・ゴールは第二次世界大戦中のフランスの軍人・政治家で、フランス大統領としても活躍した人物です。私が今回のヨーロッパ訪問の際に拠点とした「シャルル・ド・ゴール空港」の名前の由来となった人物でもあります。シャルル・ド・ゴール像のところでセーヌ川に向かって右折し、「アレクサンドル3世橋」を渡りました。この橋から眺めたセーヌ川とエッフェル塔の景色はとても美しく、パリの街にやって来たことが実感できる光景でした。


シャルル・ド・ゴール像

セーヌ川とエッフェル塔

 

 シャンゼリゼ通りからセーヌ川の対岸へ渡り、しばらく歩いたのちに、「奇跡のメダイユ教会」に到着しました。「奇跡のメダイユ教会」はパリ市内のカトリック礼拝堂で、芸能人や有名人がその教会のメダイユ(メダル)を身に着けて運勢が良くなったという話も聞かれ、日本人観光客を含め世界中から観光客が訪れる場所となっています。この日訪れた際も日本人観光客が多く見られ、教会内では日本語も飛び交っていました。
礼拝堂では世界各国からやってきた多くの方々が祈りを捧げていました。日本人の方々も、アジア系の方々も、欧米系の方々も、国や人種の垣根を越えて同じように祈りをささげ、教会内は喜びと優しさに満ちていました。大切な人の幸せや平和を祈る心に国境はないのだと、「奇跡のメダイユ教会」で心から感じることができました。


奇跡のメダイユ教会①

奇跡のメダイユ教会②

松永慎吾

 

【松永慎吾 プロフィール】
函館ラ・サール高校、大阪大学外国語学部卒。
秋田の学習塾イデアグループ指導監理官就任。秋田中央高校にて「小論文テクニック講座」や能代松陽高校にて「大学進路講演」など高校講演実績多数。ABSパイセンでは「チャーティー」ABSタマリバでは「ラ・サール伯爵」としてラジオ番組に出演中。

 

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